代表

大石 賢斉
医者いらずの町にしたい医者
好きな動物は鶏
亡き父の後を継いで、2015年から粟倉医院の三代目をしています。古き良き文化がそこかしこに残る町野に住むようになってから、いつしか自作した草鞋を履いて山々を走り回るのがライフワークとなり、たくさんの存在で構成される自然の中での人間の立ち位置を強く意識するようになりました。ログハウスづくりを通して自然と向き合い、力強く幸せに生きるとはどういうことかを考え、そしてその先に生き生きと健康に生きる人が溢れるコミュニティが生まれればと思っています。
事務局長

西又 浩二
元中学校長
人参とSNSが苦手
私は能登の山奥に生まれ、幼少から山仕事や田んぼ仕事の手伝いに明け暮れる毎日でした。能登を離れてからも、よくその時の光景を思い出しては不思議と頑張れたものです。今の自分の基盤は、その時に教え励ましてくれた人たちによって作ってもらったものです。なんとかその人達が、もう一度あのときのように笑顔を取り戻してもらえるよう頑張ります。
建設工事担当

藤本 稔
重機の師匠
建設関係の仕事をして40年。9/21の能登豪雨後、町野町の粟倉医院跡地にて重機での流木、泥出し作業。作業しながら、大石先生と今後の復興に関する話を聞き、人間の本来の能力・可能性で自分の想いと合致しました。この活動にて色々な人達と笑顔で楽しく関わっていこうと思います。
経理担当

水越 直子
プロジェクトの羅針盤
豪雨後から本格的にボランティアに入る様になりました。町野町に住んでみると、能登の人達は自然と上手に共存してきた事がよく分かりました。自力を失くしてしまう生活から少しでも早く元の生活に戻れる様にと思い、このプロジェクトに参加しました。
安全管理担当

宮本 晴樹
こよなく地元を愛する消防士
私は、町野で生まれ、町野で育ち、ずっと町野で暮らしています。以前のように、また町野町が安心安全な地域になりますように、縁の下から支えていきます。
ボランティア担当

山下 裕介
口だけは達者な町プロ代表
2016年、祖父母の病気をきっかけに町野町へ移住し、米農家として新規就農しました。町野町は、絵に描いたような「田舎・農村」ですが、私にとっては、人も町も暖かな、素敵な田舎だと思います。令和6年能登半島地震発災後は、地域の仲間とともに「町野をワクワク・楽しい町にするぞー!」と、町野復興プロジェクト実行委員会を設立しました。この活動は、そんな町プロの理念にも突き刺さるものですし、「一流の田舎」を目指す町野町にとって、重要なプロジェクトだと感じています。私も全力で取り組みます!
広報担当

山田 美喜
ライター・動画編集・Web配信
たまに町野でご飯作り
もう一人自分がいたら、ずっと町野で一緒に家を建てたい。私も地元メンバーのみんなと、現地で木を切って重機に乗って、汗を流したい!。それが今は叶いませんが、何か自分にも出来ることがあれば、という想いで、金沢からWeb配信担当をさせていただいています。この活動を世界に届け、応援や支援をいただけるよう、又、他の地域の皆さんのモデルケースともなるこの活動を、知っていただけるようコツコツ配信して参ります。ぜひ皆様、アカウントのフォローや「いいね」をよろしくお願いいたします。

西又 啓太・朋子(家族)
京都から復興を応援し続ける夫婦(家族)
父にできない部分を補填します
能登半島地震…被災当日、ガソリンのない車で途方にくれる近隣住民を助け、能登に残り復興を目指す父との挑戦です!プロジェクトに共感する中で、人との関わりや協力・共闘の大切さを再認識しています。この経験を今後を生きる世代にも伝えていきたいと思っています。父、そして仲間の皆様の人生をかけたプロジェクトに関われることが嬉しいです。微力ながら、力の限り頑張ります。
