人間の想定を簡単に凌駕する自然の動きは、人間にだけでなく他多種にも大きな影響を与えるが、彼らは起こったことを「災害」と名付けることもなく速やかに過去のことにして、毎日を淡々と力強く生きている。能登半島がどれだけ激しく揺れても、春になれば桜は咲いたし、どれだけたくさんの雨が降っても、冬になれば春に備えてカエルは眠った。大きな自然の循環の一部として生きる存在達は、どのような変化をも正しく受け入れ、自分達のすべきことを迷いなく実行している。人間も彼らと同じように生きることはできないか。
世の中に溢れる有象無象の情報は、他者と自身とを比較させ、不安を煽り、燻らせ、本当に自分が心地好いと感じる自分ではない自分へと変貌させ、結果として病気へと誘う。自由や感情を奪われ、同種しか存在しないと思わされ、インスタントな生産性にこそ価値があると信じさせられ、容易に病気になる養鶏所の鶏達を思う時、近代化された人間社会が重なる。野生を知る鶏達の様に、目の前の一歩一歩を迷いなく力強く踏みしめられるだけの自力があれば、「今ココ」でしか通用しないような情報に踊らされることなく、本来の自分のまま幸せに生きることができるのに。
幸運にも今の能登は、必要とあらば人間社会で決められた専門性の檻など躊躇なく突き破ってやれることは何でもやるべきであり、多くの仲間と一緒にワクワクしながら取り組むことが難局を乗り切る秘訣であり、自然の循環に逆らって生きることは非現実的であり、課題を克服する過程でどれだけ知恵が得られるかが最も大事であると、ただ居ながらにして実感できる稀有な場所の一つだ。だからこそ能登には、人間が人間らしく力強く幸せに生きるためにはどうすればよいかという問いに対する答えを
得るためならば、自然とエネルギーが湧いてくる人が高密度に居る。
私は今、その答えは、毎日を「完全燃焼できる自力」を備えることだと思っている。正しいかどうかは分からない。だから今まさにここ町野で最も困難な課題に、町野に思いを寄せる全ての人達と一緒にエネルギッシュに取り組み、克服する過程で自力を養い、正解かどうかを確認したい。過去や未来の「災害」に過度に苛まれることなく、ワクワクしながら毎日を完全燃焼して生きられるだけの自力を備えた人の溢れる地域となれば、きっと「病気」のレッテルを貼られる人も減るだろう。結果として本当に必要な医療だけが必要とされる場所になり、幸せな一生を全うできる人が増えれば、医者冥利に尽きる。
